京都の歩き方〜修学院離宮〜

京都の歩き方〜修学院離宮〜
先週、初めて修学院離宮に行きました。
我が家からは歩いて五分のところ、標高でいうと真横、同じレベルにあるんですけど。。

修学院離宮は後水尾上皇が直接作庭に関わったとされ、1655年頃の造営とされています。

陵墓と同じで離宮といったのは明治以降宮内庁が勝手に付けた名称です。もともと宿泊施設すらなかったそうで、茶屋、ですね。

王宮の豪華絢爛な別荘施設とでも思って来た外国人はガッカリしてるでしょう。金閣寺、清水寺を見て京都観光を満喫してる日本人もなんか違うッと思っていたでしょう。



改変と荒廃を経て、造営当初の上皇の意図すら見えにくくなっている中で、修学院離宮を理解することは極めて困難。

ただ、借景をふんだんに活かした庭園の構造は美しく、山の斜面を利用した起伏と相まって絶妙なコントラストを生み出していた。
おそらくこの感じは造営当初のものと大きく変わらないのではないだろうか。




鎌倉期から戦国期が終わるまで数えきれない戦禍で荒廃しきっていた京都において、権力も資金も幕府に制限された上皇が、豪奢で権威的なこれまでの寺社仏閣、茶の湯の世界に大きな一石を投じたのはたしか。



なぜならそれ以降、京都に造営される庭園、茶室、寺社仏閣は日本文化において、究極の美意識を体現することに成功しているから。

そのルーツが修学院離宮にあるのではないか、と思う暇もないくらい暑かった。。。